人生はくそ

心が貧しい

出会いについて

 おとといの夜のこと。あの日は上野の街を徘徊していた。安くて適度に人の入っている居酒屋を求めていたのだ。無論、安いのがいいことは言うまでもないが、程々の込み具合の飲食店というのは、そこに身を置くことで、自分自身の個が多数の中に埋もれることも、逆に際立てられることもなく、程よい適切な孤独さを楽しむことができる場所である。しかし、おひとりさまが行けそうなカウンターのある店は、どこも満員かさもなくばすっかりガラガラでほぼ店主と一対一か、といった具合であった。

 ともかくそういうわけなので、居酒屋に入ろうにも入れず、失意の中虚ろな目をしながらアメ横の喧騒にもみくちゃにされていた。この街には、未だ素面の人、ほろ酔いのひと、べろんべろんに酔ったひとなど色々いるが、それぞれが思い思いの話をし合って盛り上がっているのを、冷風除けのためのビニール越しに見ていると、どうにもうら寂しい心地がしてしまった。一度どこかに腰を据えて酒を飲んでしまえば、そういうひとたちなどすっかり蚊帳の外となるのだが、自分の居場所も定まらぬまま見せられる、多数の多数による華やいだ酒宴が与えるものは、疎外感でなくて何なのだろうか。「う~わ、また鬱になってるよこのひとwww」などと茶々を入れるメタな自己が、自分の健やかな精神にとっての最後の砦なのだが、じきにそいつも息をしなくなっていた。すっかり嫌気が差した。「もういいや、今日は柏の日高屋で飲んでやる」などと考えながら、僕は帰りの常磐線に乗った(ちなみに、色々不本意な部分はあるものの、日高屋サイゼリヤなどは、「安くて適度に人の入っている」という要件をばっちり満たしているという点では、とても居心地がいい)。

 いらんことで脳が疲れていたので、程なくして寝てしまった。気付いたら柏駅にいた。ふらふらと電車を降り、改札を出る。柏なんて、ちょっと外れに行けばド田舎なくせに、駅だけはやたらひとが多い。嫌だ嫌だと思いながらコンコースを突っ切る。すると、毎朝毎晩繰り返されるこの小さな苦行のさなか、耳慣れない音楽が東口方面から届いているのが分かった。柏市は、全国でも珍しいのか珍しくないのかは知らないが、ストリートミュージシャンの活動を自治体として公式で支援していて、毎日誰かしらが柏駅ペデストリアンデッキの隅で演奏しているのを聞くことができる。だから、改札近くで誰かが演奏していること自体はまったく珍しい光景ではなかった。そのはずだったのだが、なぜかその日の僕は、東口から聞こえるその演奏に並々ならぬ興味を覚えた。

 変ホ長調ハ短調の間をたゆたいながら反復される響きと音型。短二度を含む静謐なアルペジオが絶え間なく提示される音的世界は、さながらジョン・ケージの『ある風景の中で』(In a landscape)のようであった。

John Cage: In a landscape (1948) - YouTube

 そしてそれは遠目から見る限り、金属でできたどら焼き状のものを手で打撃することによって生み出されていた。その音色は、金属より発せられる音でありながら刺々しくなく、ハープのように柔和ではかなく、スティールドラムのように明瞭でふくよかだった。

 僕はこの演奏をずっと聞いていたいと思った。つまらぬことで疲弊しきってスカスカになった精神の隙間を隈なく充填する響きに、ずっと身を委ねていたいと思った。前述の通り柏駅はひとだらけで、演奏している目の前で立ち止まるのはやや憚られたから、また、真正のコミュ障たる自分には、奏者の真正面で聞く勇気もなかったから、演奏するその後ろからちょっと離れたところで、静かに聞いておくことにした。

 僕はこういう時に感じる感動を素直にかつ適切に伝えるのがとても苦手だ。正確にこの感情を伝えようと欲すれば、上に書いたようなすこぶるきな臭い文章しか考えつかないし、そもそもこの気持ちはこんな衒学的な美辞麗句でもって表現すべきものなのだろうか、とさえ思う。とはいえ、このまま内に秘めたままくすぶらせて置くわけにも行かなかった。なんとかして、何かしらの形でこの気持ちを伝えなければ。そう思った僕は、あれこれ考えた挙句、無言で相手の顔さえ見ずに投げ銭をして、そのまま逃げるように去った。後ろから「ありがとうございます」と声が聞こえたが、振り向かなかった。

 その後、日高屋に行って三種盛り合わせ(焼き鳥とキムチとメンマが乗ってるやつ)で生と日本酒を飲んだ。

 あれで良かったのだろうか、とぐずぐず考えていた。背後から突然現れて何も言わず目も合わせずお金を置いていくとか、普通に考えたら気持ち悪すぎるよな~~~ストーカーみたいだな~~~って思うし、そもそもの話、何かを良いと思ったのならばその良いものを生み出した人に面と向かって感謝申し上げるのが道義だし、というかそういう道義がどうとかいう以前にちゃんと感謝したかったし、あ~~~~下手こいた~~~~~と一人反省会を脳内で繰り広げていた。目の前の中年二人がふかすタバコの煙が、入り口から入る寒風に乗って僕の顔に吹きかかる。店を出る頃には、もうあのひとも引き上げているだろう。今更ああだこうだ考えても遅かろう。それっきしの出会いだったのだ。そう思うことにした。隣のおばさんは、お冷の氷をれんげで一気に掬ったかと思えば、先程到着した中華そばの中にどばっと入れ、何食わぬ顔で麺をすすり始めた。僕は日本酒の二合目と麻婆豆腐を注文した。追加でライスも注文した。伝票を見たら二千円近く行っていた。

 ふらふらと日高屋を出た。駅を降りたときと比べたら、人通りもずいぶん落ち着いていた。また夜は、数時間経つ間により一層冷え込んでいるように思われた。

 何か聞こえた。

 なんとまだあのひとが演奏していたのだった。

 さあここでまつのべどうする!?声をかけないと後々後悔するぞ!!!でもこの酩酊状態の中声をかけたらドン引きされること必至!!!!それでも行くかまつのべ!?!??どうする!?!?!?

 最終的に勇気を出して声をかけた。

(以下うろ覚え)
「あの、すみません、あの、すごく演奏良かったです」
「あ、ありがとうございます、さっき後ろで聞いていた方ですよね?」
「あっ、はい、そうですはい。なんかすみませんお金でしか伝えることができなくて、すみません…」
「いや、いや……」
「あの、その、僕、すごく応援してるんで、ほんと、あなたの音楽がすごく良いって思って、応援してます、頑張ってください」
「あ、ありがとうございます……」
「いや、ほんとに応援してるんで、頑張ってください、ほんと……」(以下続く)

 控えめに言ってめちゃくちゃ気味悪いひとになってしまった。思うところはちゃんと言えたが別の意味ですごく後悔した。とはいえ、しない後悔よりする後悔、という。これでよかったのだと思うことにした。「ここだとほとんど立ち止まって声をかけてくれる人がいないので有難いです」と言われて少し救われた。

 去り際に名刺を頂いた。見るに、フランス人の二人組と一緒にバンドを組んでいるようであった。そういえば、今は柏でストリートをやっているが、じきに台湾に旅立つといったことをおっしゃっていた。台湾でこのペアと落ち合って、演奏活動を続けるのだろうか。このまま世界を放浪し続けるのだろうか。などとぼんやり考えた。

 また、そのひとの演奏しているそれは、ハンドパンと呼ばれる楽器であった。割合最近に生まれた楽器で、欧州などでひそかな人気を集めているらしい。詳しくはWikipediaYouTubeなどをご覧いただきたい。なお、先程の方の演奏は、"Kashiwa Hang"と検索すればお聞きいただくことができる。例えば、こちら。

Kashiwa Hang, Play handpan @ Danshui, Taipei 台北淡水 2016/10/16 - YouTube

 最後になるが、以上の体験は、自分にとって極めて特異なものであった。ひとつは、これまでの音楽的経験の中で、単に情緒的であるのみならず非常に示唆に富んだ経験であったという点で。もうひとつ、人生に嫌気が差したこんな自分も、こういう感動に出会えるのだ、という驚きがあったという点で。得てして、世間を斜に構えて眺める人間にとって「出会い」という言葉はしばしば軽薄に扱われるが、ここに書いたような思いがけない出会いは、そのような偏狭な見方を改めてくれる、場合がある。